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村上春樹「騎士団長殺し」〜何がすっきりしないんだろう?〜

読了「騎士団長殺し

 まとまった時間がなかなかとれなかったことや,どうしても村上作品はじっくりと読みたくなることなどから,ようやく読了を迎えました。「騎士団長殺し」。

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 ボリュームもある2冊構成の長編。「村上節」ともいえる独特の表現方法も相変わらずで,読み応えがありました。

 一つの表記の裏側を確かめるためにページを戻ってみたり,

「どういうことだろう?」

と,ややしばらく深読みしてみたり…。

 やはり村上さんの作品を読むこと自体が楽しいと感じることの出来るひとときとなりました。

 

 お得意の時間,空間,意識の交差はあるものの,基本的には現代のお話。書体自体もこれまでの作品の中でも平易な部類に入ると思いますので,とても読みやすい作品だと感じました。

 「騎士団長」をはじめ,「あちらの」世界の方々を別にすれば,登場人物の把握も難しくはありません。「あちらの」世界と「イデア」「メタファー」との結びつけ方で様々な読み取りが出来るようなつくりにしてあるのも,村上作品のいつもの楽しみ方となっています。

 

 ただ,何かすっきりしないんですよね。読みやすいわりには…

 

登場人物にとっての「イデア」と「メタファー」とは?

 主人公の「私」,主要人物の「免色 渉」「秋川まりえ」は,その生い立ち,家族間,仕事観等にそれぞれの悩み,現実とのひずみのようなものを抱えており,自らの立ち位置を模索しています。そんな中,「自分」を「自分たらしめる」ものを捜すことが本作のモチーフになっていると考えます。

 それぞれの「自分たらしめ方」が少々ゆがんでいたり,回り道をしたり…ということで,互いの思いが絡み合いながら展開していくわけです。

 

 「私」に関しては,「妻の柚」「妹の小径」「雨田親子」「騎士団長」「白いスバル・フォレスターの男」等が,自分を見つめるための手がかりとなっていきます。

 「免色」と「まりえ」に関しては,互いの存在と関わり方そのものがそれぞれの気づきへと誘います。

 

 とまあ,このように読了後振り返ってみると,ふと感じたのが,

「だからどうしたの?」

ということ。

 最後は登場人物それぞれにこれから先の希望の光のようなものが見えるという「大団円」的終わり方となっており,「イデア」だの「メタファー」だのを振りかざした割にはありきたりな終末に思えたのです。 

 だったら,あんなに哲学的だったり抽象的だったりといった表現にしたり,「騎士団長」だの「穴」だのを登場させなくても表現できたんじゃないかな…とも思ったりします。

 また,「騎士団長」の死。「私」にも「まりえ」にとっても道案内してくれる役回りなのですが,その「死」は何を意味するのか?彼はなぜ現れ,なぜ死ななくてはならなかったのか?「あちら側」の方々を含めてストーリー展開の中でちょっとつながりがないような…

 

 皆さんはどのような感想を持ちましたか?

 

ただ…相変わらず心地いい村上文学

 しかしまあ,やはり村上文学には一種の媚薬的効果がありますね。

 いろいろと思うところはありますが,やはりこの久しぶりの長編を心ゆくまで楽しむことが出来ました。

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 村上さんも早68歳とのこと…早く次の長編作を読んでみたいと,もうすでに期待している自分がいます。

 
 

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