史実を知っているからこその「逃れられない必然」が底流に…
垣根涼介さんの「信長の原理」を読了しました。
以前読んだ「光秀の定理」では,ある1つのカラクリをベースに,光秀の思考のベースがかたち作られるまでを描いていました。
時代物ではありますが書き味はいい意味で軽い感じで,「生き方本」とでもいえるような「無国籍感」のある読み物になっていました。
最新刊である「信長の原理」は,これに対してより重厚な書きぶりとなっています。
信長が「発見」したある原理に従って動く臣下の武将達。
原理は理解しながらも,その流れから逃れられずにもがく信長。
これらを,「史実」を知っている我々読み手はとてつもなく冷静に読み進めていくことになります。正に「吸い込まれていく」感覚。
そして迎える信長の最後。
そのすべてが信長の原理に伴う「必然」として描かれているわけです。
この絶妙な歴史観,登場人物との距離感が,本作の最大の売りだと感じました。
また,読み手にその醍醐味を感じさせる垣根さんの筆力は生半可なものではありません。
やはりこの方,「本物」です!
どうにも動かせない「1:3:1」の原理
キモとなる「信長の原理」とは,蟻の動きを観察してる際に気付いた,
「進んで働く蟻,それらになんとなく追従する蟻,サボる蟻がどのような状況においても1対3対1の割合になる」
という現象です。
そしてこの現象は,虫であっても人間であっても,また,どのような集団の中であっても揺るぐことのない「原理」であるというのです。
常に臣下の武将の扱いに腐心することになる信長。
自らの勢力が大きくなれば大きくなるほどに,臣下の扱いが難しくなっているわけですが,その上で信長の足かせとなってくるのがこの「原理」でもあります。
「常に2割の臣下が使い物にならなくなったり,裏切ったりする」ことが「必然」となるわけで,本作ではこの考え方が,信長の臣下に対する厳しい処断とシンクロして描かれていくことになるわけです。
多様な「臣下側」の心理描写に瞠目
前著「光秀の定理」では,登場人物の数も少なく,その分心理描写の幅という部分では限られたものでした。
しかし本作では,その登場人物は実に多彩。
信長の幼少期から絶命までの期間に信長に重用された武将が数多く登場するとともに,家柄等による事情等を踏まえたその各武将の考え方や信長に対する思いが実に多様に描写されています。
その中で,「原理」に従うかのように,以前は活躍していたのに次第に働きぶりが衰えてくる者,ふるい落とされまいともがいて耐えられなくなる者等,その盛衰の様子が実に坦々と,そして分かりやすく描かれていきます。
膨大な情報量を扱っているはずなのに文章自体や構成が明確であることが非常に驚くべきことですし,このことが「信長が自身が発見した原理によって追い込まれていく」様を描くにあたって,非常に有効に機能しているのです。
思想書でもあり時代小説でもあり〜正に新感覚な時代物〜
そして最終盤。
なぜ光秀は本能寺の変に「追い込まれた」のか?
そしてなぜ信長は光秀に討たれることになったのか?
そう,そのどちらも「1:3:1」の原理,そして「拮抗を維持しようとする復元の力」によるものだった…。
読まれていない方は「何のこと?」という感じでしょうが,圧巻の締めとなっています。見事!
是非とも読んでお確かめを。
垣根さんの書く時代物は,何でこんなに不思議な感覚を与えるのでしょうか?
単なる歴史の後追いではなく,1つの「考え方」というレールを通すことで物語に一定の制限をかけ,かつ,その制限があることによって物語に「深み」を与えることに成功しているように感じます。
「光秀の定理」しかり。「信長の原理」しかり…。
本作は「歴史」に特段の興味が無い方々にもお勧めです。
結構な厚みのある本ですが,吸い込まれるように読み進めることができます。
もちろん歴史に興味がある方々であれば,
「そうくるかっ!」
と,「結末」を知りながらもなぜかページをめくる手が止まらなくなることでしょう。
垣根さん,次も時代物で来るのかな?
それとも新たな方向性で?
やっぱり大好きな作家さんです。