「新章 神様のカルテ」読了
「神様のカルテシリーズ」の新展開一作目,「新章 神様のカルテ」を読了しました。
先日,自宅に届いた本作の表紙に大いなる驚きを感じて記事を書かせていただきましたが,正に本作のテーマが凝縮された表紙であったことを今感じています。
シリーズ5作目にして新シリーズの先陣を切る本作,シリーズ最高傑作に仕上がっています。
まずもって作者である夏川草介さんの筆力の向上ぶりに目を見張ります。
元来,「神様のカルテ」シリーズは,お堅い文体ではあるのです。それは,主人公である栗原一止が本作を一人称視点で語ってることに由来します。
この一止は無類の夏目漱石好きであり,普段の語り口調も文語調になるほどの偏屈もの。ですから,どうしても文中には難しめの言葉が並び,全体的に閉塞感がある書き味ではあったのです,これまでは。
そう,「これまでは」です。
本作は,これまでの傾向は当然受け継ぎつつも,これまでの作品にはない「瑞々しさ」「息づかい」を感じます。息苦しくないのです。それどころか,心地よく「堅苦しい文体」に身を委ねている自分がいるのです。
微妙な言葉の選択の仕方,文章の繋ぎの巧妙さ等の技量が飛躍的に向上したことで,非常に専門的であり,内容的にもシビアな文章を,これまで以上に心地よいものにすることができたということでしょう。
加えていうならば,その文章構成の巧みさです。
本作は,長野県の素晴らしい自然を描きながら,その四季とともに物語が進んでいきます。その時間軸と同様,多様な「縦軸」が通っています。
一つは娘「小春」の成長を柱とした,栗原家の動向。
また,多数登場する患者の中でも主要な人物となる,若き膵臓がん患者「二木 美桜」とその家族の命の物語。
これに加えて,4年目の若手「利休」こと新発田,研修医の「番長」こと立川,同じく研修医の「お嬢」こと鮎川という,一止の部下達の葛藤と成長。
更に,白い巨塔たる大学病院内の同僚,上司達との命を削るようなやり取り。
これらの「縦軸」に加えて通っているのが「横軸」。
いつもの「御嶽荘」の住人,「男爵」「学士」とのやりとり。
学生時代からの親友,砂山,進藤との交流では,一止が背中を押されるシーンが数多く描かれます。また,砂山の進藤ともに,プライベートな部分で大きな変革の時を迎えます。
さらに,以前勤めた「本庄病院」で交流を深めた医師,看護師等が,要所要所で登場しては,一止を支えていくことにもなります。
これらの莫大な情報量を含む「縦軸」「横軸」を綿密に巡らし,400ページ超の本作を紡いでいながら,本当に破綻がないのです。特に「縦軸」については,実に見事にそれぞれのストーリーが収まっています。しかも,それぞれが複雑に絡み合いながらです。
これ程多くの人物を登場させながら,それぞれの人間味を書き分けると同時に本筋のストーリーに絡み合わせていく…。それも,混沌とさせること無く,実に見事にさばききっている…。
圧巻です。
これまでの「神様のカルテ」シリーズとは明らかに異なるステージに立った本作を,是非とも体感してもらいたいと思います。
と同時に,「横軸」を読み解く上でも,これまでのシリーズは読んでおくべきです。本作を最初に手に取ってしまうと,あまりの情報量の多さに困難さを感じてしまうかもしれませんし,第一,これまでの下支えの元に展開されるストーリーを十分に楽しむことができません。
できれば,「0→1→2→3」を読み,ウォーミングアップしてから…になさった方がいいかと思います。
「一止流」「榛名流」は揺るがず
読了後に非常に爽やかな気分でいられるのは,これまでの「一止流」が本作でも健在だからです。
独立独歩を貫きながらも,いざとなると常に患者本位であり,時には上司に歯向かってでも患者に寄り添おうとする。どこまでも不器用な「一止流」。
そして,そんな一止の考えをすべて受け止めて支えようとする「榛名流」の愛し方。
これらの潔さは,本作でも全く揺らぐことがありません。
ネタバレになるため詳しくは書きませんが,大学病院内で,「二木 美桜」の診療方針でもめた際にも,「飛ばされること」覚悟で大学の権威に立ち向かう一止と,そんな一止にすべてを委ねて寄り添う榛名の姿がありました。
特に,患者に対する一止の思いは何層にも渡って描かれており,その考え方に影響を受ける新発田,立川,鮎川らの若手医師の姿はすがすがしいものがあります。
また,以前予想したとおり,自然と一止を応援する同僚,上司も現れ,一止の活力源ともなっていきます。
前述したとおりに,瑞々しいタッチとともに描かれるこれらのエピソード。時を忘れて読みふけってしまうのも頷けるというものです。
さて,本作終盤で,鍵ともなるフレーズが登場します。
「大丈夫でないことも,全部含めてきっと大丈夫です。」
この文章の意味を解き明かすためにも,是非本作を読んでみて下さい。
「子ども達」が陰の主人公
最後になりますが,本作の陰の主人公は「子ども達」であるともいえるかもしれません。
一止と榛名の子「小春」は生まれながらにして股関節に異常があり,子ども病院への通院が続いています。しかし,その無垢な笑顔は一止達の何よりの喜びです。
二木美桜の子ども「理沙」。一止は理沙に,
「お母さんを治すために全力を尽くす。それだけは約束する。」
と語ります。その約束が,一止の心を支え,美桜の心を解放します。
更に,進藤の娘「夏菜」は,しばしば小春の遊び相手として登場するとともに,進藤とその妻千夏との鎹となります。
病院という伏魔殿の中で右往左往する医師も,病魔に冒される患者も,愛する子どもの前には無垢な心をさらさざるを得ない…。
本作は,単なる医療小説という範疇に止まらず,子どもをもつ年代となった一止や榛名,そしてその友人達の人間としての成長を描こうとしているのかもしれません。
だとすると,この「神様のカルテシリーズ」は,今後も長きにわたって継続していくことになりそうです。