「ブラック・ショーマンと名もなき町の殺人」読了
東野圭吾さんの最新刊「ブラック・ショーマンと名もなき町の殺人」を読了しました。
率直な感想としては,近年まれに見る「駄作」になってしまったなあ…ということ。
ほんの帯にある,
「コロナの時代に,とんでもないヒーローがあらわれた」
というコピーには,残念ながら全く共感できません。
光文社は,これで読み手が納得できると本気で考えたんですかねえ…?
「軽い」「薄い」「弱い」の三重苦
物語は,東京に住む神尾真世と叔父の武史が,真世の父である「神尾英一」の死の真相を追う…というものです。
武史はアメリカで活躍した元マジシャンという設定で,その洞察力や手先の技術を駆使して,事件の真相に迫っていく…という部分を売りにしたいようなのですが,まあその設定といい,手がかりの摑み方といい,ゆるゆるのガバガバで,推理ものとしては軽すぎます。
今時,
「ライトノベルでもこんな設定や描写は許されないだろう!」
と突っ込みたくなるほどで,
「東野さん,どうしちゃったの?」
というレベル。
また,「コロナの時代に…」というコピー宜しく,様々な面でコロナ禍の描写が多用されます。東野さんは,「時代に合った…」という作品に使用としたのだとは思いますが,こんな配慮は邪魔でしかありません。
読者は単純に東野さんの謎解きを楽しみたいのであって,それが時流に合致している必要性は全くないのです。
この作品,コロナ禍が過ぎてしまった後には,誰も読みたくないのではないか…というくらい,コロナの描写が盛りだくさんです。これが物語全体の「薄さ」に大きく影響していることは間違いがないと考えます。
しかし,致命的なのは,そのコロナは,事件の真相には1㎜も影響していないこと。無駄足です!
更に,事件に関する描写が「弱い」。
中盤あたりにはもうすでに犯人の目星が付いておりましたし,意図的に散りばめた伏線が,犯人の目星をより一層付けやすくするという悪循環。
正に「策士策におぼれる」という感じでした。
「人情味」も希薄で…
近年の東野作品では,本格推理ものの中にも,犯行に結びつく犯人の心情が深く描かれたり,登場人物の人情味あるサイドストーリーが本筋の推理をもり立てるという傾向が強く表れていました。
単なる推理ものではなく,「人情推理もの」とでも言いましょうか…。この部分が,東野作品の深みを生んでいたように感じます。
しかし,本作ではここも希薄なのです。
もちろん意図的に登場人物の悩み等を絡め,それを武史が解決していく…という手法を採っていくのですが,例えば「新参者」のような重厚さは全くありません。
近年の傑作だと考えている「希望の糸」とは雲泥の差です。
というわけで,個人的には残念と感じた「ブラック・ショーマンと名もなき町の殺人」ですが,もちろん,東野作品のよさである引き込まれるような感覚はしっかりとありますし,テンポも悪くはありません。
軽めに楽しみたい…という向きにはいいかもしれませんね。