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岡崎琢磨「珈琲店タレーランの事件簿8〜願いを叶えるマキアート〜」読了&レビュー〜禁断のミスリードを仕組んだ筆者には怒りさえ感じる〜

岡崎琢磨「珈琲店タレーランの事件簿8」読了

 岡崎琢磨さんの最新刊「珈琲店タレーランの事件簿8」を読了しました。

 本作は「タレーランシリーズ」の10周年を記念して発刊されたもの。
 前作「珈琲店タレーランの事件簿7〜悲しみの底に角砂糖を沈めて〜」から僅か5ヶ月での新刊に驚きを禁じ得ません(笑)。

 本作の発刊前の紹介記事でも書きましたが、「事件簿6」の終末で美星自身が、
「アオヤマさんとの関係が多少変わってもいいと思っている…」
と述べ、美星とアオヤマが恋人関係になって以降の話として描かれるのが本作です(事件簿7は短編集ということもあり、2人の関係性についての話は無し)。

 そして…。
 正にその2人関係が大きく関わるストーリーになるのですが、この点で大きな疑問、いや、怒りのようなものさえ感じました。
 筆者である岡崎さんは、明確な意図をもって読者をミスリードしようと企てているからです。

 私は書籍のレビュー記事を書く際にはできるだけネタバレにならないように配慮しますが、今回ばかりは「ネタバレあり」で書かさせていただきます。
 それだけ岡崎さんのやり口に苦言を呈したいと考えているからです。

 

世界観がこじんまりしすぎかな…

 まずは肝心のミリテリーの要素から。こちらはネタバレしないように…。

 ストーリーとしては、タレーランが参加した「第一回京都コーヒーフェスティバル」で起こった他店への妨害事件を美星が解決する…という至ってシンプルなものです。

 6件が参加したフェスティバルでの営業妨害ということで、ミステリーとして楽しむには少しばかり世界観がこじんまりとしている印象が拭えません。
 実際、その営業妨害の手段も規模もこじんまりとしており、
「もう少しミリテリーとして楽しめる題材はなかったのか?」
と大いに疑問に感じてしまいます。

 事件の真相には人間の「嫉妬」が隠されており、事件以外の要素でもこの「嫉妬」が本作の鍵を握ることになっていきます。

 謎解きは…いつもの岡崎さんの悪癖が少しばかり目立つかな…。「6」のときほどではありませんが、やはり強引さが気になります。とってつけたような、後付けしたような証拠の積み重ね…。
 もう少しスマートに、違和感なく謎が解けていったらどれだけ読みやすくなることか…。

 どうしても「ビブリア古書堂シリーズ」と比較してしまうのですが、謎解きの洗練度という点では、ビブリアの圧勝なんですよね。
 未だ乗り越えられず…といった感は拭えません。

 題材、世界観は非常に魅力的なシリーズだけに、今後の筆者の研鑽を願います。

 

許せないミスリード

 さて、ここからがネタバレを含む部分。
 未読でネタバレは勘弁…という方は切り上げてください。

ミスリード①

 本作、プロローグの部分で、「茨」が「マイカ」に別れを切り出す場面から始まります。

 そして、登場人物の中に「舞香」という女性が現れ、いかにも怪しげな動きをするのです。

 これ、岡崎さんが完全にミスリードを誘ってますよね。
 結局は「マイカ」と「舞香」は別人物だというとんでもない落ちになるわけですが、これはいけません。
「プロローグで出てきた人物が犯人なわけはない…」
という先読みで読み進めるわけですが、それにしてもこのやり口は下の下です。
 ミステリーとしてはやってはいけないことでは?

ミスリード②

 そして、更に残念なのが、「美星とアオヤマの関係」です。

 あれだけ「2人は恋人関係になって…」という煽りをしておきながら、
「実は別れていた」
というとんでもない真実が終盤で明かされます。

 ???

 恋人になって…って言ってたじゃん!
 当然読み手はそのつもりで読み進めるわけで…。

 そしてとどのつまりが、
『プロローグの「茨」が美星、「マイカ」がアオヤマのアカウントだった』
というご究極の都合主義。

 もう自分勝手すぎて岡崎さんの思考について行けません。
 2人が恋人関係…とあおっておきながら、実は別れていた…。
 そして、あえて「マイカ」という登場人物と勘違いするようなアカウント名にすることで思いっきり読者をミスリードした…。

 

 最後には美星とアオヤマは復縁するのですが、もはやそんなことはどうでも良くなります。
 ミステリーに関しても、恋愛要素に関しても岡崎さんの考え方は間違っています。それを許す宝島社もどうかしているのでは…と。

 せっかくここまで追ってきたシリーズだけに残念です。
 今後、どうしようかな…。

 小説なんてもの、筆者のさじ加減でどうにでもなるからこそ、筆者は読み手に責任をもたなければならないのだと思います。
 それが歴史を重ねたシリーズ物であればなおさら…。

 どうにも腑に落ちない読了となってしまいました。

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