東野圭吾「透明な螺旋」読了
東野圭吾さんの最新作「透明な螺旋」を読了しました。
自然の情報として発表されていた、
「今、明かされるガリレオの真実。
愛する人を守ることは罪なのか。
シリーズ最大秘密が明かされる。」
という"煽り"が、一体どういう意味なのか…ということが非常に気になっていました。
いつもの東野作品のように、正に一気読みした本作。
ストーリー性はまずまず、最後の大どんでん返しは超弩級。
しかし、「ガリレオシリーズ」ということを考えると、評価は非常に微妙だと考えます。
「平凡」と「とってつけ」と
ストーリーとしては、
「房総沖出見つかった男性の銃殺遺体に関し、その男性と同居する女性が何故か行方不明になっている…」
という謎から始まるオーソドックスな展開となります。
この女性、女性の母親、この母親と関わる人物と、とある因縁で繋がっていくそれぞれの人間の生き様が絡みついていく…という流れ。
そして、ここが最近の東野さんの傾向なのですが、その裏側に登場人物の「出生」「ルーツ」のようなものを横たえている…という傾向は、本作にも踏襲されています。
私が、本作を、
「確かにおもしろいけれど平凡…」
と感じてしまうのは、その作風が最近の長編と全く同様であり、代わり映えがしない…というと捉えてしまうからかもしれません。
確かに重厚さはあるのですが、前作の「白鳥とコウモリ」「希望の糸」も、犯行の動機に、生い立ちのようなものが事件に深く関与している…という点が殆ど同じなんですよね。
一つ一つの作品をとればなかなかの出来ではあるのですが、1人の作家さんの一連の作品としてみると、もう少しバリエーションがあった方がいいのは当然のことでしょう。
そして、そう考える裏には、
「以前の東野さんだったら、このような思いを抱かせるようなことはなかったのでは…」
と考えてしまう自分がいるのです。
そして…。
本作の最大の売りであった「シリーズ最大の謎」ですが…。
もちろんここでネタバレをするつもりはありませんが、
「それって、事件とは全く関係ないところだよなあ…」
という不満は残るものだった…ということは書いておきたいと思います。
その「謎」そのものはそう来たか…と思わせるものでもあり、事件に間接的に関係している種類のものではあったわけですが、本作で描く「必然性」のようなものに薄く、東野さんのさじ加減でどうにでもなる…という「とってつけ感」もたっぷりなのです。
もちろん、この部分については「あり」とする考えもあるでしょうが、本作を「推理もの」として考えるでであれば、明らかにウエイトを置きすぎだと思います。
え〜っと、科学的要素が全くありませんが…
更に…。
非常に違和感を感じたのが、「科学的要素」が全くないまま終了してしまう…ということ。
確かに、最近のガリレオシリーズの長編は、科学的要素を薄め、本格推理ものに振る傾向があるということは以前にも書かせていただきましたが、今回は「全くなし」です。
これだったら、事件を解決するのが加賀さんでもいいわけで…。
何のための「ガリレオシリーズ第10弾」だったのか…という疑問は残るかと思います。
以上…。
おもしろいけれど、評価が難しい…と考えた所以でした。